メンタリストとパラリンピック。

自称メンタリストという人の「ホームレスの命なんてどうでもいい」といった発言が話題になっている。優生思想、排他的思想、差別的思想。どれも賛同できるはずがないが、誰しも心のどこかに抱えている闇の部分だ。

パラリンピックが開催されるが、オリンピックほど注目されない。社会の大多数を占めるいわゆる健常者にとって、パラアスリートの凄さが伝わりにくい面があるのも事実だ。その記録がどれほどのものなのか、オリンピックなら自分と照らしてわかりやすいが、パラリンピックはというとそれができない。でも、注目されないのはそれだけじゃない。やはりそれが社会の圧倒的少数の人たちの活動であり、身体的弱者のものだから。どんなにきれいごとを並べたところで、根底に流れる人々のそうした思いは必ずあるはずだ。メンタリスト的な思想が。「障害者の人たちの活躍なんてどうでもいい」と。

私は息子が重度の難聴者であるので、ほかの人より当事者意識をもってパラリンピックを注目している。しかしほとんどの人たちには、そうした当事者意識もないだろう。実際オリンピックより圧倒的にマスコミの事前の扱いが小さくなっている。取り上げてもみんなの関心が得られないと見越しているのか。だが、ここで取り上げずしていつ取り上げるのですか?マスコミが今年の秋の流行ファッションはこれです、と大々的に取り上げれば、それが流行するように、パラリンピックのことをもっともっと大々的に取り上げてくれさえすれば、これまで関心のなかった人たちにも少なからず響くはずだ。メンタリストの発言を否定するのであれば、併せてパラアスリートの紹介をもっともっとやってほしいと願わざるを得ない。

優生思想、排他的思想、差別的思想と正しく向き合う良い機会が、身近に、目前に、迫っている。